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ウルスラ・アンドレス 生年月日: 1936年3月19日 出身地: スイス/ベルン 身長: 165cm ☆007シリーズの 初代ボンドガール。 ラクエル・ウェルチと共に彼女が1960年代では “最もグラマーな女優”であったということに間違はない! ※ 『007』は原語で“ダブルオーセブン”で、これが正しい読み方とされている。ただし日本では1970年代中頃までは“ゼロゼロセブン”と言っており、映画も第1作から第7作「ダイヤモンドは永遠に」までは“ゼロゼロセブン”で公開されている。(Wikipedia) 外交官の父ロルフ・アンドレス、母アンナはともにドイツ人。5人の姉弟がある。16歳の時、美術留学生としてパリへ渡る。 翌年、ローマへの旅行中に映画界にスカウトされ、1954年の「Le Avventure Di Giacomo Casanova」でデビュー。 イタリアで何本かの低予算映画に出演した後、マーロン・ブランドの勧めでパラマウントと契約し、ハリウッドへ。当初は英語が不自由でしばらくは役がつかないまま、1957年に俳優のジョン・デレクと結婚。 その後、筋肉質な大型グラマーぶりと独特の美貌を買われ、彼女の声のみ吹き替えで1962年にテレンス・ヤング監督のスパイアクション映画「007/ドクター・ノオ(当時の邦題は「007は殺しの番号」)」の初代ボンドガールのハニー・ライダー役に抜擢されてからその名を一躍有名にした。同作は、ジェームズ・ボンド役をショーン・コネリーが演じた初の作品で、白いビキニ姿の彼女が海からあがってくるシーンは今見ても強烈なインパクトがある。 そして翌年、美しい青い海と南国ムード漂うメキシコの観光地アカプルコを舞台にした、エルヴィス・プレスリー主演の歌謡ラブ・ストーリー映画、リチャード・ソープ監督の1963年「アカプルコの海 」でも彼女のグラマラスなバディを堪能できる。 1964年度の“Most Promising Newcomer - Female Golden Globe”に選ばれ、『PLAYBOY』誌でヌードになるなど、“セックス・シンボル”の地位を確立した。 フランス語、イタリア語、ドイツ語、英語が堪能な彼女は、自殺志願の大金持ちがストリッパーとの愛に目覚めて命を惜しみ、殺し屋の手から逃れるさまを描いた、フィリップ・ド・ブロカ監督のフランス映画1965年「カトマンズの男」に出演している。この作品で共演したジャン=ポール・ベルモンドとは恋に落ち、それが原因で1966年にジョン・デレクと離婚した。 その後も語学力を活かして、ハリウッドのみならずヨーロッパ映画にも多数出演し、国際的に活躍した。 1965年には、殺人がゲーム化している未来社会を舞台に、互いに殺し合う男女の選手の姿を描いた、エリオ・ペトリ監督&マルチェロ・マストロヤンニ主演のイタリア映画「華麗なる殺人」ではコミカルな芝居も素晴らしく演じている。 1966年には 目的のために卑しいまでに野望を燃やす若者の青春を描いた戦争映画の名作、ジョン・ギラーミン監督の「ブルー・マックス」で伯爵夫人カエティを演じた。 そして、初めて西部に乗り込んだ“サムライ”と強盗団との、大統領献上の宝刀をめぐる確執を描く、テレンス・ヤング監督の1971年「レッド・サン」ではクリスチーナを演じ、三船敏郎、チャールズ・ブロンソン、アラン・ドロンと共演している。 全裸拷問シーンが話題を呼んだ1978年のイタリア映画、セルジオ・マルティーノ監督の1978年「食人伝説」では、着替えや泥を塗るシーンでトップレス姿を披露。 彼女はロマンスも多彩で数々の男性遍歴があるらしいが、1981年の「タイタンの戦い」で共演したハリー・ハムリンとの間に1982年に未婚のまま男児ディミトリを出産した。現在はイタリアに在住。 1962 007/ドクター・ノオ 1963 アカプルコの海 1963 テキサスの四人 1965 華麗なる殺人 1965 炎の女 1965 何かいいことないか小猫チャン 1966 ブルー・マックス 1967 セックス・パニック 愛欲のイタリア女族物語 1967 007/カジノ・ロワイヤル 1968 サファリ大追跡 1970 女豹の罠 1971 レッド・サン 1973 最後の大犯罪 1975 アフリカ特急 1976 サファリ特急 1976 白衣に秘められた幻想 1978 ホウリー・マウンテンの秘宝 密林美女の謝肉祭 1978 食人伝説 1979 ピンクのルージュ 1981 タイタンの戦い 1989 チャイナタウン殺人事件 |
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