| ホーム | サイトマップ | ランキング | ミュージック | アザー | ギャラリー | シネマ |
シルヴィア・クリステル
生年月日: 1952年9月28日 出身地: オランダ/ユトレヒト ★シルヴィア・クリステルの登場は衝撃的であった。“女性でも見られるポルノ映画”と言われたフランス映画「エマニエル夫人」が公開されたのは1973年。“ソフト・ポルノ”と呼ばれる分野をブームにし、日本中にその名を知らしめた。 両親はベルギー人で、ホテルを経営していた。幼児のころから歌やダンスのレッスンをう受けていた。 少女期には絵画に興味をもちはじめ、個人レッスンを受けたりしていた。大学中退後、さまざまな職業(30種あまり)を転々とした後、1972年20歳のとき、人にすすめられてファッション・モデルとなり、ミス・テレビ・ヨーロッパ大会に優勝。 間もなくオランダ映画「Because of the Cats」で映画デビューすることになる。 1973年、アムステルダムにCM撮影にやってきた当時のカメラマン、ジュスト・ジャカンに見出され、ジュスト・ジャキン監督のフランス映画「エマニエル夫人」に主演。同作は、世界中で公開され、フランス映画としては空前の大ヒットとなった。彼女も一躍有名になってスター街道へと突き進み、1970年代最高の“セックス・シンボル”となる。 ジキ・ローテムント監督の官能ロマン1974年「卒業試験」では、妊娠5ヶ月にも関わらずに…何と処女役を演じるなど、当時の人気は驚異的なものだった。以降“「エマニエル」シリーズ”を始めとするソフト・ポルノ作品を中心に出演。 コデルロス・ド・ラクロの恋愛心理小説『危険な関係』をセルフ・リメイクした、ロジェ・バディム監督(ブリジット・バルドー、ジェーン・フォンダらと数々の浮き名を流したプレイボーイ)の1976年「華麗な関係」に主演、その艶やかな美しさは多くの監督の意欲をかきたてた。 そして、ワシントンからモスクワに向かって飛行する超音速ジェット機を舞台に、数度の危機を無事に乗りこえるパイロットと乗客たちの姿を描くシリーズ4作目、デイヴィッド・ローウェル・リッチ監督の1979年「エアポート'80」で、アラン・ドロンと共演しハリウッド映画に進出する。 1981年には、大胆な愛と性の描写でセンセーションを捲き起こしたイギリスの作家D・H・ローレンスの原作の映画化で富裕だが性的に満たされない貴族の若妻が森番と愛し合い初めて性に目ざめてゆく姿を描く文芸作品、ジュスト・ジャカン監督の「チャタレイ夫人の恋人」で、コニー(チャタレイ夫人)を演じた。 言葉は、オランダ語、英語、フランス語とイタリア語も話せる。 私生活では作家であり、監督でもあるユーゴー・クランスと愛人関係となり、息子アルチュールが生まれるが、その後、ユーゴー・クランスとは別れた。離婚歴一回。現在はオランダのアムステルダムに住んでいるとか。
1972 処女シルヴィア・クリステル/初体験 1973 エマニエル夫人 1974 暴かれたスキャンダル 1974 卒業試験
1974 危険な戯れ1975 続・エマニエル夫人 1976 夜明けのマルジュ 1976 華麗な関係 1977 ピンク泥棒 1978 さよならエマニエル夫人
1978 ミステリーズ1979 エアポート’80 1979 ピンクのルージュ 1980 0086笑いの番号 1980 それ行けスマート 世界一の無責任スパイ 1981 プライベイト・レッスン
1981 チャタレイ夫人の恋人1983 プライベイト・スクール 1983 エマニュエル 1985 魔性の女スパイ 1986 レッド・ヒート 1987 ディープ・レッスン
1987 シルヴィア・クリステル/蒼ざめた欲望1987 ドラキュラ・ウィドー 1989 ホット・ブラット 1992 奴隷貴婦人 1993 エマニュエル 7 ![]()
|
| [PV] |
| ホーム | サイトマップ | ランキング | ミュージック | アザー | ギャラリー | シネマ |