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本名: Rosemarie Albach-Retty 生年月日: 1938年9月23日 出身地: オーストリア/ウイーン 没年月日: 1982年5月28日 父親はウォルフ・アルバッハ・レティ、母親はマグダ・シュナイダーで、共に俳優。後に、両親は離婚。 15歳の時、母の主演作品に娘役として映画に初出演。 1955年の「プリンセス・シシー」でお転婆なバヴァリアの王妃を演じてアイドル的な人気を得る。 アルトゥール・シュニッツラーの有名な戯曲『恋愛三昧』を映画化した、ピエール・ガスパール=ユイ監督の1958年「恋ひとすじに」で共演した新人時代のアラン・ドロンと交際し婚約。しかし5年後に破局し低迷期を送る。 その後1964年には、ハリウッド映画デヴィッド・スイフト監督&ジャック・レモン主演の「ちょっとご主人貸して」、そして1965年には、コメディアンで、この映画にも出演するウディ・アレンのシナリオをクライヴ・ドナーが監督したセクシー・コメディ、「何かいいことないか子猫チャン」などに出演し、国際的に活躍するようになっていく。 やがて女性の微妙な心理を描いたドラマ、ジュールス・ダッシン監督・制作の1966年「夏の夜の10時30分」で復活。 以降は着実に実力を発揮して活躍を続けた。 時代は19世紀、若くしてバイエルンの国王となったルードウィヒが国家から退位を強いられ40歳で謎の死をとげるまでの狂気ともいえる孤独な半生を描く、ルキノ・ヴィスコンティ監督&ヘルムート・バーガー主演の1970年「ルードウィヒ/神々の黄昏」にオーストリア皇帝の妃である従姉のエリザベート役で出演。 中年の男とデザイナーの男。二人の男の狭間で揺れ動く女を描いた恋愛ドラマ、クロード・ソーテ監督の1970年「夕なぎ/セザールとロザリー」ではイヴ・モンタンと共演。 第二次世界大戦末期、ナチ親衛隊に最愛の妻と妹を虐殺された医師の凄まじい復讐を描いた、ロベール・アンリコ監督の1975年「追想」では、主人公の美しい妻クララを演じた。 1980年には、貧しい帽子売りから社交界の高級娼婦、そしてフランス初の女銀行家へと上り詰めていく女性を描くムーディなドラマ、 フランシス・ジロー 監督の「華麗なる女銀行家」で実在した女銀行家を華麗にではなく、骨太に演じた。 そして1982年には、度重なる悲劇を乗り越え、人権擁護委員会の代表である主人公の幼い頃の戦時下での辛苦の体験と現代を交錯させ、ナチスヘの憎悪、養母への慕情などを描いた、ジャック・ルーフィオ監督の「サン・スーシの女」に出演。作品は大成功をおさめたが遺作に。 私生活では、1966年に演出家で俳優のハリー・マイエンと結婚。息子をひとりもうけたが、1972年に離婚。1975年にダニエル・ビアシーニと結婚。娘をひとりもうけたが、1981年には離婚。その2ヵ月後、最愛の息子が鉄の門に登って遊んでいるうちに落下し、死亡。翌年、ロミー・シュナイダー自身が心不全で急逝。大量の薬物摂取が原因ともいわれているが、真相はよくわかっていない。享年43歳。 1953 「リラの花の咲く頃」 1954 「女王様はお若い」 1955 「プリンセス・シシー」 1957 「モンプチ/私の可愛い人」 1958 「制服の処女」 1959 「恋ひとすじに」「セクシーガール」「太陽がいっぱい」 1962 「枢機卿」「ボッカチオ’70」 1963 「審判」「勝利者」 1964 「ちょっとご主人貸して」 1965 「何かいいことないか子猫チャン」 1966 「夏の夜の10時30分」 1967 「トリプル・クロス」 1968 「地獄のかけひき」「太陽が知っている」 1969 「ストライカー/愛と栄光のフィールド」 1970 「夜明けの舗道」「どしゃ降り」「はめる/狙われた獲物」 1970 「過ぎ去りし日の…」 1970 「暗殺者のメロディ」 1970 「夕なぎ/セザールとロザリー」 1970 「ルートヴィヒ 神々の黄昏」 1973 「離愁」「ロミー・シュナイダーの情事」 1974 「地獄の貴婦人」 1975 「追想」 1976 「限りなく愛に燃えて」「雪に咲いたバラ」 1976 「GRUPPENBILD MIT DAME」 1978 「ありふれた愛のストーリー」 1979 「華麗なる相続人」 1980 「華麗なる女銀行家」「SFデス・ブロードキャスト」 1981 「検察官」「レイプ殺人事件」 1982 「サン・スーシの女」 |
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