Rita Hayworth 
リタ・ヘイワース
本名: Margarita Carmen Cansino
生年月日: 1918年10月17日
出身地: 米ニューヨーク州/ブルックリン
身長: 168cm
没年月日: 1987年5月14日
父親はスペイン生まれのラテン・ダンサー、母もダンサーだった。幼い頃から父にダンスを習い、メキシコなどのクラブで踊っていた。
彼女の舞台を見たFOX社の副社長はヘイワースと出演契約を交わし、リタ・キャンシノの芸名で1935年「ダンテの地獄篇」のダンサー役に起用、映画デビュー。
出演作を重ねる内に認められ、1936年の「ラモナ」の主演(ギルバート・ローランドの相手役)に選ばれたが、FOXが20世紀と合併するゴタゴタの中で出演は白紙に戻され、同年の「ガルシアの伝令」を最後に解雇。
同年コロンビア作品の1936年「完全犯罪」に出演し、一度目の結婚を期にリタ・ヘイワースと改名。1937年「麗人野球団」で再スタートとなった。
その後、ラオール・ウォルシュ監督&ジェームズ・キャグニー共演の恋愛コメディ1941年「いちごブロンド」などに出演、人気も上がりスターの座を掴む。
アンダルシア地方を舞台に、スペインの人々が対峙する“光と影”を、闘牛を通して鮮やかに映し出した、ルーベン・マムーリアン監督&タイロン・パワー共演の1941年「血と砂」では、有閑階級の女ドニャ・ソルを官能的に演じている。
嘘から始まった騒動を描くミュージカル、シドニー・ランフィールド監督&フレッド・アステア主演の1941年「踊る結婚式」ではヒロイン役を演じ、映画は大ヒットを記録し、絶頂期を迎えた。アステアは彼女の踊りに対する飲み込みの良さを激賞してベスト・パートナーの一人と評した。
1941年には“明日のスター10人”の第二位に選出され、同年には『ライフ』誌の表紙を飾った。
彼女の魅力が最も発揮された作品はチャールズ・ヴィダー監督の1946年「ギルダ」である。
同作で、彼女は運命の女ギルダを演じ、長い手袋を踊りながら脱ぎ捨てる官能的なシーン(グローブ・ストリップ)はあまりにも有名で、“セックス・シンボル”として絶大な人気を誇った。
後に、「ギルダ」のリタ・ヘイワースを男たちが身も心も虜になっている映像を1994年「ショーシャンクの空に」で映画を囚人が見ているシーンとして楽しませてくれている。
以後、1940年代から1950年代にかけて世界中の男たちから熱い視線を浴びた。
P・メリメの小説に基づいた映画化で、妖艶なカルメンの色香に翻弄され、次第に身を持ち崩していく竜騎兵・ホセが、彼女を刺し、自らも命を落とすお馴染みのストーリー、チャールズ・ヴィダー監督&グレン・フォード共演の1948年「カルメン」では性的魅力を発揮し好演、映画史上15人目のカルメンと紹介された。
私生活では、1943年、天才児と謳われた怪人オーソン・ウェルズ(2番目の夫)と再婚後、娘も生れたが1947年離婚。その後もインドの王子やディック・ヘイムズ、ジェームズ・ヒルと結婚を重ねるたびに数年間映画界から離れることでも有名だった。5回の結婚歴がある。1987年、アルツハイマー病により孤独な死を遂げ(死後2日後に発見)、最後まで新聞を賑わせた。享年68歳。
1935 コブラ・タンゴ
1935 ピラミッドの殺人
1935 ダンテの地獄編
1935 可愛いオディ
1936 ガルシアの伝令
1936 完全犯罪
1937 テキサスは大騒ぎ
1937 麗人野球団
1937 空のギャング
1938 嵐の十字路
1939 コンドル
1940 紐育の天使
1941 いちごブロンド
1941 血と砂
1941 踊る結婚式
1942 運命の饗宴
1942 晴れて今宵は
1944 カバーガール
1945 今宵よ永遠に
1946 ギルダ
1948 上海から来た女
1948 カルメン
1952 醜聞殺人事件
1953 情炎の女サロメ
1953 雨に濡れた欲情
1957 海の荒くれ
1957 夜の豹
1958 旅情
1959 コルドラへの道
1962 楽しい泥棒日記
1964 サーカスの世界
1966 銭の罠
1966 悪のシンフォニー
1967 残虐の掟
1968 バスタード
1969 渚の果てにこの愛を
1972 サンタマリア特命隊

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