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Mireille Darc  

ミレーユ・ダルク



本名: Mireille Aigroz
生年月日: 1938年5月15日
出身地: フランス/トゥーロン

 南フランスのトゥーロン生まれ。父親は庭師で、母親は食料品店を営んでいた。当地のコンセルヴァトワールで演劇を学び、19歳のときパリに出る。演出家ルネ・デュピーに見出され、舞台デビュー。その後、映画に端役で出演するようになる。
 1960年、オノレ・ド・バルザックの『領主館』を原作としたテレビ映画「地獄の傍らで」でデビュー、同年、短篇映画でスクリーンデビューした。

 若い女性が恋愛の苦しみを知る、というサスペンス・タッチのドラマ、ジョルジュ・ロートネル監督の1965年「恋するガリア」に主演し、マール・デル・プラタ国際映画祭主演女優賞を受賞。スレンダーでそのブロンドとソバカス顔、まるで少年のような容姿で人気が爆発、一躍スターになった。  ジョルジュ・ロートネル監督とは、当時、愛人関係にあったと噂され、フランス製のコメディ・タッチのフィルム・ノワール1966年「女王陛下のダイナマイト」や女への愛に、全てを捨てさる男を描いた暗黒映画1967年「太陽のサレーヌ」、大金をめぐる抗争を描いたアクション1967年「牝猫と現金(げんなま)」などに出演している。

 ヌーヴェルバーグの旗手、ジャン=リュック・ゴダール監督が描くエロティシズムに彩られた文明批評、ジャン・リュック・ゴダール監督の1967年「ウィークエンド」では、主人公のコリンヌを演じた。

 ギャングたちの仲間割れを描いたフィルム・ノワール、ジャン・エルマン監督の1969年「ジェフ」でアラン・ドロンと共演し、ふたりは長い同棲生活に入った。
 アラン・ドロンとは、二人の生活に入ってきた黒人の女によって生まれた“愛の三角間係”と言える新しい愛の型を描く、ロジェ・カーヌ監督の1970年「栗色のマッドレー」や敏腕弁護士と謎を秘めた暗い過去をもつ女の愛を描くサスペンス、ジョルジュ・ロートネル監督の1974年「愛人関係」、平凡な人生を嫌い、常に新しい物を求める男が、人生を賭けてオークションに挑む姿を描く、エドゥアール・モリナロ監督の1977年「プレステージ」そして、親友の死をきっかけに政界にたちこめる陰謀に立ち向う一人の実業家を描く、ジョルジュ・ロートネル監督の1978年「チェイサー」など、数々の作品で共演している。

 そして、フランス映画界きっての2大スター(ジャン=ポール・ベルモンド&アラン・ドロン)が 初めて顔を揃えた本格ギャング映画、1930年代のマルセイユに、青春の野心とロマンを生きた二人の男の物語、ジャック・ドレー監督の1970年「ボルサリーノ」にも出演した。
 1980年代以降は、映画よりも、舞台やテレビドラマを中心に活動するようになった。
 1981年に、持病の心臓病が悪化して大手術を受けた。1983年には、イタリアで交通事故にあい重症を負ったが見事復帰。
 1988年には、「ソフィー/遅すぎた出逢い」で映画監督としてデビュー。
 1997年には、“ゆうばり国際ファンタスティック映画祭”に審査員として来日している。
 2006年には、レジオンドヌール勲章シュヴァリエ章を、2009年には、国家功労章コマンドゥール章をそれぞれ受章した。

 私生活では、アラン・ドロンと破局後、1983年にPierre Barretと結婚したが、5年後に死別。2002年にPascal Desprezと再婚した。




1961 何がなんでも首ったけ
1965 大貴族
1965 恋するガリア
1965 皆殺しのバラード
1966 女王陛下のダイナマイト
1966 エヴァの恋人
1966 海と女と泥棒と
1967 太陽のセレーヌ
1967 ブロンドの罠
1967 牝猫と現金(げんなま)
1967 ウィークエンド
1968 枯葉の街
1969 ジェフ
1969 モンテカルロ・ラリー
1970 栗色のマッドレー
1970 ボルサリーノ
1971 狼どもの報酬
1974 愛人関係
1977 プレステージ
1978 チェイサー





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