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マレーネ・ディートリッヒ
本名: Maria Magdalena Dietrich 生年月日: 1901年12月27日 出身地: ドイツ/ベルリン 身長: 168cm 没年月日: 1992年5月6日 ドイツの中流貴族の家庭に生まれる。幼い頃からヴァイオリンを習っていたが手首をケガし、それからは女優を夢見るようになる。マックス・ラインハルトの演劇学校に入学直後から舞台に立つようになる。 1923年には「ナポレオンの弟」で映画デビュー。1930年の「嘆きの天使」演出のためベルリンにやってきたジョセフ・フォン・スタンバーグ監督が彼女の立つ舞台を見たことからローラ役に抜擢。退廃的な美貌、セクシーな歌声、その脚線美と共に『フォーリング・イン・ラヴ・アゲイン』もヒットして一躍世界的に有名になる。 その後アメリカに渡り、パラマウントと正式契約。美男俳優ゲイリー・クーパーと共演した1930年「モロッコ」でハリウッド・デビュー。エキゾチックで妖しげな魅力を開花させた彼女は、グレタ・ガルボと共に1930年代ハリウッドのトップスター女優に。 スタンバーグとのコンビで黄金時代を築いたが、1934年の「西班牙狂想曲」がヒットしなかったのを最後にスタンバーグとのコンビを解消、しばらく低迷することに。 ヒトラーはディートリッヒがお気に入りだったようで、1937年の「鎧なき騎士」出演後に、ドイツ映画に復帰するよう要請されるがディートリッヒはこれを完全拒否。そのためドイツでは彼女の映画は上映禁止となった。 その後1939年にアメリカ市民権を取得。1940年代からは西部劇やブロードウェイの舞台にも立って活躍。終戦後は、1947年「狂恋」で恋愛関係にあったジャン・ギャバンと共演。同年にはアメリカ国民最大の栄誉である“自由勲章”を与えられた。 1953年からは名曲『リリー・マルレーン』などの歌で、アメリカ合衆国やヨーロッパなど世界各地をリサイタルして廻り新境地を開いた。日本にも1970年の大阪万博と1974年にコンサートで来日している。 1978年「ジャスト・ア・ジゴロ」が映画出演最後となった。 1924年、助監督のルドルフ・ズィーバーと結婚。同年12月には娘マリアを出産。結婚は一度きりだったが殆ど別居状態のまま、彼の死まで離婚はしなかった。1948年には孫が誕生。1992年、パリで老衰のためこの世を去った。
嘆きの天使 (1930) モロッコ (1930) 間諜X27 (1931) ブロンド・ヴィナス (1932)
上海特急 (1932) 恋のページェント (1934) 西班牙狂想曲 (1935) 真珠の首飾 (1936) 天使 (1937) 鎧なき騎士 (1937)
砂塵 (1939) 焔の女 (1941) スポイラーズ (1942) 男性都市 (1942) 狂恋 (1947) 異国の出来事 (1948)
舞台恐怖症 (1950) 八十日間世界一周 (1956) 黒い罠 (1957) 情婦 (1957) ジャスト・ア・ジゴロ (1978) MARLENE/マレーネ (1984)
真実のマレーネ・ディートリッヒ (2001) ![]()
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