Marilyn Monroe
サイズ: B94W58H91(事務所公表) B89W56H89(ドレスメーカー説) --------------------------------------------------------------------------------
1926年6月1日 米国ロサンゼルスに生まれる。 本名ノーマ・ジーン・モーテンセン。 母親が精神病院に入院したため、幼少期は孤児院や里親を転々とする。
1942年 16歳で航空機整備士のジム・ドゥアティと結婚。このころからモデルの仕事も始める。
1946年 ジムと離婚。ハリウッドでの生活が始まる。20世紀フォックスと契約し、芸名をマリリン・モンローに。映画では端役しか与えられず、ついには同社を解雇され、写真モデルをしたりカレンダー撮影でヌードになったりしていたが、大物エージェント、ジョニー・ハイドに出会い、再契約。その後、ジョン・ヒューストン監督「アスファルト・ジャングル」で注目を集め始め、数々の映画に出演。
1953年 「ナイアガラ」でモンロー・ウォークが有名になり、「紳士は金髪がお好き」でトップに躍り出る。雑誌「PLAY BOY」創刊号の表紙を飾る。
1954年 野球選手ジョー・ディマジオと結婚。ハネムーンで日本を訪れる。わずか9カ月で別居し、翌年は20世紀フォックスとの対立もあり、写真家のミルトン・グリーンらとプロダクションを設立する一方、演技派女優への転身をはかる。
1956年 劇作家アーサー・ミラーと結婚するが、子宮外妊娠で2度の流産。
1960年 「お熱いのがお好き」でゴールデン・グローブ賞を受賞。大統領に就任したジョン・F・ケネディと交際。翌年、ミラーと離婚。アルコールと睡眠薬におぼれる日々が続き、精神病院に入院。
1962年 ケネディ大統領の誕生日に「ハッピー・バースデイ」を歌う。
1962年 8月5日 ロサンゼルス近郊の自宅で死亡しているところを発見される。36歳だった。死因は睡眠薬の過度の服用による急性中毒死と発表。遺体はジョー・ディマジオが引き取り、葬儀は内輪で行われた。
嵐の園」(1947) Dengerous Years(1947) イヴの総て(1951) Ladies of the Chorus(1948) Love Happy(1949) 彼女は二挺拳銃(1950) アスファルト・ジャングル(1950) イヴの総て(1951) ノックは無用(1952) モンキー・ビジネス(1952) ナイアガラ(1953) 紳士は金髪がお好き(1953) 百万長者と結婚する方法(1953) ショウほど素敵な商売はない(1954) 帰らざる河(1954) 七年目の浮気(1956) バス停留所(1956) 王子と踊り子(1957) お熱いのがお好き(1959) 恋をしましょう(1960) 荒馬と女(1961)
■ モンロー語録 ■
●「私はお金には興味がないわ。私はただ素晴らしくなりたいの。」 "I am not interested in money. I just want to be wonderful." 「その年のうちに契約を取り交わした方が、翌年まで待つより税金の面で少し得をする」と、20世紀フォックスの法律部門の男が助言した時の返事。
●「冗談を言うのはかまわないけれど、私自身が冗談のようには見られたくないの。私はアーティストになりたいの。完璧な女優に。」 " I don't mind making jokes, but I don't want to look like one. I want to be an artist, an actress with integrity."
●「自分が素晴らしい女優だなんて幻想は抱いてなかった。自分がどんなに下手か分かっていたから。才能がないのははっきり感じていたわ、安い服を心に着ているみたいに。 でも、神様、私はどんなに勉強したかったことか。どんなに変わりたかったことか。どんなに上手くなりたいと思ったことか!」 "My illusions didn't have anything to do with being a fine actress. I knew how third rate I was. I could actually feel my lack of talent, as if it were cheap clothes I was wearing inside. But, my God, how I wanted to learn, to change,to improve!"
●「私が言いたいのは、もし私がスターだとしたら、スターにしてくれたのは、撮影所でも、誰かでもなく、大衆のおかげだということなの」 "I want to say that the people - if I am a star - they made me a star - no studio, no person, but the people did. " 詩人のノーマン・ロステンに語った言葉。彼の著した「マリリン−知られざる物語」(1973)の冒頭に引用されている。
●「朝、表に出ると、57丁目の通りを行くゴミ収集人達が私に声をかけるの、『マリリン、おはよう!元気?』私にはとっても誇らしい事よ。だからあの人達が大好き。労働者の 人たちが。 」 "In the morning the garbage men that go by 57th Street when I come out the door say, "Marilyn, hi! How do you feel this morning?" To me it's an honor, and I love them for it. The workingmen."
1962年、彼女の死の少し前に行われた「Life」のインタビューで。
●「子供の頃は誰もきれいだと言ってくれなかった。でもどんな女の子もきれいだと言われて育てられるべきよ。きれいでなくてもね」 "No one ever told me I was pretty when I was a little girl. All little girls should be told they're pretty, even if they aren't."
●「私は間違いで生まれたの。母は私を欲しがらなかった。一度も。たぶん私が邪魔だったのね。母にとって私は恥だったのよ。離婚した女が男とつきあうのはそれだけで十分に大変だと思うけど、私生児までいるとしたら・・・。でも、私は今でも、母が私を望んで生んだのならいいのにと思うの。」 "I was a mistake. My mother didn't want to have me. I guess she never wanted me. I probably got in her way. I know I must have disgraced her. A divorced woman has enough problems in getting a man, I guess, but one with an illegitimate baby... I wish, I still wish, she had wanted me."
●「ベッドでは何をつけているのか、ですって? シャネルの5番よ。」 "What do I wear in bed? Why, Chanel No. 5, of course."
※TITLE:quotesより引用 URL:http://www5e.biglobe.ne.jp/~marilyn/main/quotes.html
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