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ジェーン・フォンダ
本名: Jane Seymour Fonda 生年月日: 1937年12月21日 出身地: アメリカ/ニューヨーク 父は名優ヘンリー・フォンダ。弟は俳優で監督のピーター・フォンダ(娘は女優ブリジット・フォンダ)。 12歳の時母がヘンリーの浮気を苦にして自殺。しかしその3ヵ月後に後妻を迎えた父に反発し、父娘の関係が悪化する。 ヴェッサー女子大へ入学し、画家を目指してパリへ留学。帰国後次第に女優を志すようになり、1959年、モデルとして「ヴォーグ」誌のカヴァーガールなどをしながらアクターズ・スタジオで演技を学ぶ。 1960年「のっぽ物語」で端役ながら映画界にデビュー。 しかし父の影を嫌い1964年「危険がいっぱい」の出演を期に、フランスに渡る。 1967年には主演作「バーバレラ」など、セクシー路線への転向にも成功。 その後アメリカに帰国して、ドナルド・サザーランドと共に反戦劇団を結成したりして、反戦、反体制、ウーマン・リブの闘士として活躍。 1969年「ひとりぼっちの青春」のアカデミー主演女優賞ノミネートに続き、1971年「コールガール」と1978年「帰郷」でアカデミー主演女優賞を2度受賞した。 1981年、それまで不仲だった父との関係修復を図るべく「黄昏」で父と共演。 1992年に映画界からの引退を表明し、その後ワーク・アウト・スタジオを設立し、発売したビデオは大ヒット。 私生活では、「危険がいっぱい」で共演したアラン・ドロンの紹介で、ロジェ・ヴァディム監督と知り合い1965年に結婚し一女を出産したが、後1973年に離婚。同年に反戦運動家のトム・ヘイドン氏と再婚(後1989年に離婚)。ベトナム戦争反対運動に積極的に関わったことで“Hanoi Jane”と呼ばれ非国民扱いされ辛酸を舐めたこともある。1991年にCNNテレビの創設者、テッド・ターナーと結婚したが、2001年にまたもや離婚。
アイリスへの手紙 (1990) 私が愛したグリンゴ (1989) モーニングアフター (1986) アグネス (1985) 黄昏 (1981)
華麗なる陰謀 (1981) 9時から5時まで (1980) 出逢い (1979) チャイナ・シンドローム (1979) 帰郷 (1978) カリフォルニア・スイート (1978) ジュリア (1977)
青い鳥 (1976) おかしな泥棒 ディック&ジェーン (1976) 人形の家 (1974) コールガール (1971) ひとりぼっちの青春 (1970) 裸足で散歩 (1967) 世にも怪奇な物語 (1967)
水曜ならいいわ (1967) バーバレラ (1967) 夕陽よ急げ (1967) 万事快調 (1966) 逃亡地帯 (1966) 獲物の分け前 (1966) キャット・バルー (1965) 危険がいっぱい (1964) 輪舞 (1964) ニューヨークの休日 (1963) チャップマン報告 (1962) 荒野を歩け (1961) のっぽ物語 (1960) ![]()
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