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Greta Garbo  


グレタ・ガルボ



本名: Greta Lovisa Gustafsson
生年月日: 1905年9月18日
出身地: スウェーデン/ストックホルム
愛称: ザ・フェイス
身長: 171cm
没年月日: 1990年4月15日

☆ 初期ハリウッドの伝説的美人スター

 3人兄妹の末っ子として貧しい家庭に生れる。13歳で父が亡くなり、翌年からデパートの店員などをしている時に、そのデパートの宣伝映画やパン組合のPRフィルムに出されるようになる。
 演技を学ぼうとスウェーデン王立演劇アカデミーに通学。在学中に映画監督のマウリッツ・スティッレルに出会い、グレタ・ガルボという芸名を与えられ、同監督の1924年「イェスタ・ベルリングの伝説」で本格的に映画デビューを果たした。同作は、ヨーロッパでヒットして彼女も国内を始め世界的に注目を浴びた。
 翌年、ドイツ映画G・W・パブスト監督の「喜びなき街」を経て、アメリカに渡りMGMと契約。1926年にモンタ・ベル監督の「イバニエスの激流」で、リチャード・コルテズの相手役を務めて鮮烈なハリウッド・デビューを果たす。
 その神秘的美貌で人気を高め1920年代後半から1930年代中期にかけて、マレーネ・ディートリッヒと共にハリウッド最大の人気スターとなった。
 美しい伯爵夫人と彼女に翻弄される男たちの姿を描いたメロドラマ、クラレンス・ブラウン監督の1927年「肉体と悪魔」では主演し、そのミステリアスな美貌で映画ファンを釘付けに。
 はじめてのトーキー映画、クラレンス・ブラウン監督の1935年「アンナ・カレニナ」では、スウェーデン訛りが危惧されたが、彼女のハスキー・ボイスが一層人気を高めた。
 ジョージ・キューカー監督のロマンス1937年「椿姫」では、その気品といい、匂うような女らしさといい、素晴らし名演をみせた。
 また、“笑わない女優”と呼ばれていた時期もあったが、エルンスト・ルビッチ監督のコメディ1939年「ニノチカ」で初めて笑顔を見せた(“ガルボ笑う”というキャッチコピーが使われた)。
 美人女優が世に出るたびに、何かにつけて比較されるガルボは“神聖ガルボ帝国”の女王として君臨していたが、ジョージ・キューカー監督の1941年「奥様は顔が二つ」を最後に36歳で引退。
 その後復帰の噂は幾度かあったが現実化には至らず、マンハッタンのイースト・サイドで静かに余生を送っていた。そんな当時の彼女を題材に、往年の大女優グレタ・ガルボに会うことを夢見て生きる中年女性の姿をコミカルに描いた、シドニー・ルメット監督の1984年「ガルボトーク/夢のつづきは夢…」が制作されるなど映画界における彼女の存在は相当なものだった。
 1954年に米国アカデミー賞栄誉賞も授与されているが授賞式にも出席せず、引退後は一度も公の場に姿を現さなかった。

 1990年、肝不全にて死亡。ロマンスの噂も数多くあったが生涯独身を貫いた。




1924 イエスタ・ベルリングの伝説
1925 喜びなき街
1926 イバニエズの激流
1926 明眸罪あり
1927 肉体と悪魔
1927 アンナ・カレニナ
1928 女の秘密
1929 恋多き女
1929 野生の蘭
1929 船出の朝
1929 接吻
1930 アンナ・クリスティ
1930 ロマンス
1931 インスピレーション
1931 スーザン・レノックス
1932 マタ・ハリ
1933 グランド・ホテル
1934 お気に召す儘
1935 クリスチナ女王
1935 彩られし女性
1935 アンナ・カレニナ
1937 椿姫
1937 征服
1939 ニノチカ
1941 奥様は顔が二つ


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