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クラーク・ゲイブル 本名: William Clark Gable 生年: 1901年2月1日 出身地: アメリカ/オハイオ州 没年: 1960年11月16日 愛称: キング/ゲイブ ☆ ゲイリー・クーパーと同じ時代を生きた1930年代を代表するハリウッドスター 父は石油採掘業者。両親は共にドイツ移民の子孫で、母親は生後7ヶ月で亡くした。若い頃から舞台に興味を持ち、旅興行の一座に入り、地方巡業する。 オレゴン州ポートランドに落ち着きデパートなどで働き、町の劇団に参加する。そこで知り合った女優のジョセフィーンと共にハリウッドへ渡り結婚。 1924年「禁断の楽園」で映画デビューを果たすが、サイレント映画では活動の場はないと感じた彼は、ニューヨークに移り舞台活動に専念。舞台での活躍がMGMの目にとまり、1931年「惨劇の砂漠」から映画復帰。同年ジョセフィーンと離婚し、17歳年上のリサと再婚する。 1931年に10本以上もの映画にゲイブルは出演しているが、いずれも凶悪犯人や暗黒街のギャングなどちんぴら系の役が多かったが、1934年「或る夜の出来事」でアカデミー主演男優賞を獲得する。また、ゲイブルがこの映画の中で演じた“肌着を着けずにシャツを着る”というファッションが大流行。アメリカ中で下着が売れなくなるという事態を引き起こす。 そして1939年、ヴィヴィアン・リーと共演した大作「風と共に去りぬ」の原作者マーガレット・ミッチェルが彼をイメージして作ったレット・バトラー役によって“キング・オブ・ハリウッド”と呼ばれるようになる。その後の彼は、大スターとして飛躍し、出演作品は軒並みヒットを重ね伝説的ドル箱スターとなる。 1942年、3度目の結婚相手の女優キャロル・ロンバード(1932年に「心の青空」で共演)が飛行機事故で死亡。 第二次大戦中は空軍に従軍。1946年「冒険」で復帰。 1955年には元女優のケイ・ウィリアムズと5度目の結婚を果たす。 アーサー・ミラー原作で、マリリン・モンロー共演1961年「荒馬と女」では、老齢のカウボーイを演じて危険なスタントも自らこなしていたが、映画の撮影が終わって10日後に、ゲイブルは心臓発作に見舞われて急死した。モンローはゲイブルについて言った。「女が命を捨てられるものがあるとしたら、クラーク・ゲイブルみたいな男性ね。」 モンローと共に、この映画が彼の遺作となってしまう。 結婚は計5回であったが、彼の死後4ヶ月後には、ケイとの間に彼の唯一の子供で後に俳優となるジョン・クラーク・ゲイブルが生まれた。 荒馬と女(1961) ナポリ湾(1960) 僕は御免だ(1959) 先生のお気に入り(1958) 深く静かに潜航せよ(1958) ジェイムス・ディーン物語(1957) 南部の反逆者(1957) ながれ者(1956) 一攫千金を夢見る男(1955) たくましき男たち(1955) 叛逆者(1954) モガンボ(1953) 哀愁のロシア(1953) 栄光の星の下に(1952) ミズーリ横断(1951) スピード王(1950) 戦略爆撃指令(1948) 帰郷(1947) 自信売ります(1947) 冒険(1946) 無法街(1941) ブーム・タウン(1940) 風と共に去りぬ(1939) テスト・パイロット(1938) 地球を駆ける男(1938) サラトガ(1937) 桑港(サンフランシスコ)(1936) 妻と女秘書(1936) 空駆ける恋(1936) スタアと選手(1936) 支那海(1935) 戦艦バウンティ号の叛乱(1935) 或る夜の特ダネ(1935) 結婚十分前(1935) 野性の叫び(1935) 或る夜の出来事(1934) 男の世界(1934) 私のダイナ(1934) 白衣の騎士(1934) ダンシング・レディ(1933) 春の火遊び(1933) ホワイト・シスター(1933) 夜間飛行(1933) 紅塵(1932) 心の青空(1932) 太平洋爆撃隊(1932) 惨劇の砂漠(1931) 自由の魂(1931) 秘密の6(1931) 夜の看護婦(1931) 暗黒街に踊る(1931) スザン・レノックス(1931) 無冠の帝王(1931) |
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