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Charlton Heston  

チャールトン・ヘストン



本名: John Charles Carter
生年月日: 1924年10月4日
出身地: 米イリノイ州/エヴァンストン
没年月日: 2008年4月5日

 12歳の時に両親が離婚。母(旧姓チャールトン)が再婚し、義父の姓のヘストンを貰ってチャールトン・ヘストンと名乗るようになる。高校時代に学生劇に出演して演劇に興味を抱き、奨学金を得て、ノースウエスタン大学に進学し演劇部で活躍。
 1944年には大学で知り合った演劇仲間の女学生リディア・クラークと結婚。
 大学卒業後、陸軍に入隊し、B29の無線士としてアリューシャン列島地域で3年間勤務。除隊後に俳優の道を目指し、1947年、ブロードウェイ・デビュー。
 やがてTVで活躍し始め、1950年「虐殺の街」で映画デビュー。その2年後に「地上最大のショウ」に出演。
 以降“ミケランジェロの彫刻のような素晴らしい肉体”とセシル・B・デミル監督に絶賛され、1956年「十戒(モーゼ役)」、1958年「ベン・ハー」などのスペクタクル大作や歴史劇のヒーローとして絶大なる人気を獲得。
 「ベン・ハー」ではアカデミー主演男優賞を受賞し、その後はスター街道を走り続ける事となる。
 1966年からは俳優組合の会長に5年間就任。
 1968年のSF映画「猿の惑星」では、猿が支配する世界に迷い込んだ宇宙飛行士を熱演。映画は衝撃的なストーリーと意外なラストが話題を読んで大ヒットを記録し、以後シリーズ化されて、ヘストンは第二作1969年「続・猿の惑星」にも出演。2001年「PLANET OF THE APES/猿の惑星」では、リンダ・ハリソンと共にゲストで出演した。
 1971年「アントニーとクレオパトラ」では、脚本と監督も手掛けてその多彩な才能を披露。
 俳優仲間からの人望も厚く、ハリウッドでの政治的リーダーとして強い影響力を示し、1977年にはその功績からジーン・ハーショルト友愛賞を授与されている。
 1998年からは全米ライフル協会の会長に就任、2003年まで務めた。米国の銃社会ぶりを告発した映画「ボウリング・フォー・コロンバイン」の中で、マイケル・ムーア監督のインタビューを受け、「銃所持は憲法で定められた権利だ」と主張。また、ヘストンは画家としても成功を収めており、彼のリトグラフは全米やヨーロッパ各地のギャラリーに展示されている。

 私生活では、ハリウッドの有名俳優としては珍しく離婚歴もなく、子供には映画監督のフレイザー・C・へストンとホリー・アンがいる。

 ※「十戒」や「ベン・ハー」など戦後のハリウッド映画の代表作で主演し、近年は銃所持を擁護する運動で知られた米国の俳優チャールトン・ヘストン氏が2008年4月5日、米ビバリーヒルズの自宅で死去した。83歳。家族のスポークスマンが明らかにした。死因は公表されていないが、2002年にアルツハイマー病にかかったことを告白していた。(asahi.com)




虐殺の街 (1950)
地上最大のショウ (1952)
黒い絨毯 (1954)
十戒 (1956)
ベン・ハー (1958)
エル・シド (1961)
北京の55日 (1963)
猿の惑星 (1968)
続・猿の惑星 (1970)
アントニーとクレオパトラ (1971)
地球最後の男/オメガマン (1971)
ソイレント・グリーン (1973)
大地震 (1974)
ミッドウェイ (1976)
原子力潜水艦浮上せず (1978)
クライシス2050 (1990)
トゥルーライズ (1994)
マウス・オブ・マッドネス (1995)
アラスカ/小さな冒険者たち (1996)
Ben Johnson: Third Cowboy on the Right (1996)
ハムレット (1996)
ヘラクレス (1997・声の出演)
アルマゲドン (1998・声の出演)
Illusion Infinity (1998)
エニー・ギブン・サンデー (1999)
Gideon (1999)
Forever Hollywood (1999)
Toscano (1999)
Town and Country (2000)
PLANET OF THE APES/猿の惑星 (2001)
キャッツ&ドッグス (2001・声の出演)



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[PV]

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