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Laura Antonelli  

ラウラ・アントネッリ



本名: Laura Antonaz
生年月日: 1941年11月28日
出身地: イタリア/ポーラ (現在のクロアチア/プーラ)

 1941年、当時イタリア領だったプーラで生まれ、幼少期に家族と共にナポリに移住する。ナポリで高校を卒業後、体育アカデミーで体育教師として3年間教えていた。
 その後、コカ・コーラが提供するテレビ・シリーズに数回出演した後、1965年に初めて映画出演を果たす。
 数本の映画に脇役として出演し、“マゾヒズム”という言葉を生み出した作家マゾッホ原作による、一人の作家とモデルの危険な関係を描いた官能映画、マッシモ・ダラマーノ監督の1969年「毛皮のヴィーナス」で初めて主演を演じる。
 そして、ヴェローナという都会の環境、そしてアレーナ・ディ・ヴェローナの管弦楽団という環境のなかで描かれる、パスクァーレ・フェスタ・カンパニーレ監督の1971年の「クロツグミの男」などでセクシーな役(コンスタンツァ・ヴィヴァルディ)を演じて、ヨーロッパで少しずつ知られるようになる。
 同年、18世紀末のフランスを舞台に、革命の動乱に巻き込まれた男の、波乱万丈の活躍を描いたアクション・コメディ、ジャン=ポール・ラプノー監督の「コニャックの男」にポーリーヌ役で出演。同作で共演した、ヌーベルバーグの代表作1959年「勝手にしやがれ」で国民的スターの地位を築いた、フランス屈指の人気スターのジャン・ポール・ベルモンドと恋仲になり、その後2人の関係は10年ほど続いた。
 1973年には、女っ気のない家庭にやってきた若く美しいお手伝いさんをめぐって、父親と長男が争奪戦を始める、サルヴァトーレ・サンペリ監督の「青い体験」で中学生の少年を筆下ろしさせるメイドを演じ、本国イタリアを始めヨーロッパで大ヒット。イタリア映画記者協会の選定する賞、ナストロ・ダルジェント賞主演女優賞を受賞した。同作で一躍1970年代のヨーロッパを代表する“セックス・シンボル”となる。
 続いて、兄嫁の護衛をいいつけられた少年の揺れ動く性への憧れと不安を描く、傑作「青い体験」の続編的映画、サルヴァトーレ・サンペリ監督の1975年「続・青い体験」でも大胆な誘惑振りで美しい人妻ラウラを演じている。
 20世紀初めの、イタリア貴族社会の絢爛たる文化を背景に、男女の愛憎を中心に人間の本質、人生を描く、彼女を“ヴィーナスの体をしている”と評したルキノ・ヴィスコンティ監督の遺作&ガブリエーレ・ダヌンツィオ原作の1976年「イノセント」ではジュリアーナ役を熱演。
 そして、19世紀末のイタリア、若い軽騎兵将校を執拗なまでに愛する病弱な醜女の苦悩を描く、イタリア映画界の名匠エットーレ・スコラ監督の1981年「パッション・ダモーレ」では、騎兵隊長と恋に落ちる人妻クララ役を演じた。
 1981年には、「青い体験」の監督サルヴァトーレ・サンペリ=主演ラウラ・アントネッリの名コンビで送る艶笑コメディ、「禁断のインモラル 魔性に彩られた処女喪失の館」に出演。
 1984年には、16世紀のヴェネチアを舞台に、二人の女性の間で揺れ動く青年の姿を描く、マウロ・ボロニーニ監督の「薔薇の貴婦人」で未亡人のアンジェラを演じている。
 1991年、自宅でコカインが押収され、麻薬所持・密売の容疑で、3年半の禁錮刑を言い渡される。アントネッリは、常習は認めたものの密売は否定、2000年には抗告が認められ、判決が取り消された。

 彼女はセクシー女優として、ソフィア・ローレンクラウディア・カルディナーレとはまた違った魅力があり、現在でも日本で根強い人気があるイタリア女優のひとり。




1969 スレッジ
1968 サテリコン
1969 毛皮のビーナス
1971 コニャックの男
1972 刑事キャレラ 10+1の追撃
1972 ジャン・ポール・ベルモンドの交換結婚
1973 青い体験
1973 セッソ・マット
1975 続青い体験
1976 悦楽の闇
1976 イノセント
1979 ピンクのルージュ
1981 パッション・ダモーレ
1981 禁断のインモラル 魔性に彩られた処女喪失の館
1984 薔薇の貴婦人
1986 スキャンダル 愛の罠
1987 ハイレグ・アバンチュール/セクシーギャル灼熱の情事
1987 アモーレ・アバンチュール/水着もモラルも脱ぎ捨てて






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